第五回 王朝の文化と思想

第五回 王朝の文化と思想ー国風文化の感性と表現ー


目次

5.0 はじめに

平安と言えば王朝、貴族の文化をイメージする。今回はひらがなや物語を学ぶことで当時の文化に触れ、そこから浄土信仰が芽生える土台を探りたい。また、源信の往生要集が日本人の地獄観に与えた影響についても考えてみたい。

学習の狙い

王朝はひらがなの発明、日記文学の発生等で、後の日本文学のひとつの核を作り出していく。ひらがなの発明は、物語文学、和歌、あるいは説話ととったあらたな日本語での表現ジャンルを生み出した。そこにしめされた人生や自然の受け止め方に見られる感性のあり方は、その後の芸術・宗教にも大きな影響を与える。また王朝のなかにあらたな時代の思想が徐々に現れてくる。
清水正之 著『日本の思想』(放送大学教育振興会) p.65

内容

遣唐使の廃止は、日本の国風文化の発達をうながす。その時代を背景に和歌等を通じて美意識が形成される。それは後世にも影響を与えている。その背景と思想を考える。
放送大学ホームページ、シラバスより

キーワード

和歌と漢詩仮名の発明土佐日記紫式部源信


5.1 国風化の意味

平安遷都の七九四年から百年後、八九四年に藤原道真による建議により遣唐使が廃止される。廃止の理由は多大な費用と唐の衰退にある。大陸から先進文明を輸入する道がたたれたことで独自の文化が芽生え始める。万葉集以来一五〇年も編まれなかった勅撰の和歌集が九〇五年頃に編まれた。九世紀のうちは漢詩が支配的で多くの勅撰漢詩集が編まれるが次第に和歌にその役割を取って代わられる。

5.1.1 平仮名の出現

これまで取り上げてきた作品はすべて漢字を使って書かれていた(漢文、変体漢文、万葉仮名)。教典の正確な音読のために今で言うふりがなをつける目的で片仮名が生まれた。漢字を真名と呼ぶため仮名と呼ばれた。片仮名は漢字と混ぜ用いられるようになった。平仮名は漢字の訓を表すために使われた。(平仮名という呼称は江戸時代のもの)平安遷都後一〇〇年間で女性が使っていた平仮名が次第に和歌を書くためのものとして定着し古今和歌集は公的に平仮名で編纂された。

この古今和歌集の編者の一人である紀貫之が女性を装って平仮名で書いた土佐日記は、平仮名による完成された散文としてはほぼ最初の文学となる。

5.1.2 平仮名の文学

土佐の国司として赴任していた紀貫之が書いて九三五年頃に完成したという「土佐日記」は後生に大きな影響を与える。現代の日記と比べて当時に日記は公的な行事を書き残すという意図があった。日記は男が書くもので、それまで漢詩で書かれていたものを女性が平仮名で書くことで、漢詩では書けなかった情緒的な表現が可能となった。しかし、依然として公的な目的で書かれているこの日記には、男性的、漢字的、公的な記述と、その裏側にある女性的、情緒的、私的な記述の二重性を持ち、国風化に限らず後生の思想文化の特徴となる。

土佐日記の冒頭部分(原文)

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。それの年の十二月の二十日余り一日の日の戌の時に、門出す。そのよしいささかにものに書きつく。ある人、県の四年五年果てて、例のことどもみなし終へて、解由など取りて住むたちより出でて船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬ、おくりす。年ごろよくくらべつる人々なむ、別れがたく思ひて、日しきりに、とかくしつつののしるうちに、夜更けぬ。 二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。藤原のときざね、船路なれど、むまのはなむけす。上・中・下、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれ合へり。

おとこもすなるにきというものを、おんなもしてみんとて、するなり。それのとしのしわすのはつかあまりひとひのいぬのときに、かどです。そのよしいささかにものにかきつく。あるひと、あがたのよとせいつとせはてて、れいのことどもみなしおえて、げゆなどとりてすむたちよりいでてふねにのるべきところへわたる。かれこれしるしらぬ、おくりす。としごろよくくらべつるひとびとなん、わかれがたくおもいて、ひしきりに、とかくののしるうちに、よふけぬ。はつかあまりふつかに、いずみのくにまでと、やすらかにがんたつ。ふじわらのときざね、ふなじなれど、うまのはなむけす。かみなかしも、よいあきて、いとあやしく、しおうみのほとりにてあざれあえり。

土佐日記原文(すべて)

土佐日記現代語訳(原文と対訳)

5.1.3 和歌の隆盛

こうした二重性は古今和歌集冒頭の仮名序と巻末の真名序にも見られる。仮名序には「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉と成れりける。世中に在る人、事、業、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものに付けて、言い出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか、歌を詠まざりける」とある。この仮名序は以降の規範となる。

勅撰という公的な性格と私的な内容を詠む和歌という二重性はここにも明確に見られる。また、この後も勅撰の和歌集が立て続けに出されることになる。

5.1.4 物語の成立

平仮名の出現により物語という新しい文学ジャンルが生まれ、竹取物語や源氏物語が書かれた。源氏物語には全編にわたって仏教的な因果応報の概念が影響している。


5.2 貴族の生活と思想 『紫式部日記』より

密教が形式化したことが紫式部日記から窺える。紫式部が仕える中宮彰子(藤原道長の長女、一条天皇の皇后)の出産の場面で多くの仏僧や陰陽師が動員され物の怪を払うシーンがある。

5.2.1 自負と憂鬱

紫式部は次のような歌を残している。

水鳥を水の上とやよそに見ん われも浮きたる世をすぐしつつ

みずどりを みずのうえとやよそにみん われもうきたるよをすぐしつつ

あの水鳥を水の上に浮いているからと言って無関係だと思えるだろうか、私も浮ついた(憂う)気持ちでこの世の中を過ごしているのだから、という意味である。 紫式部は優秀な女官で、自身の才(漢詩の才能、からごころ)と大和魂(日常をこなす能力)に長けていることを自覚していた。その一方で世渡りの難しい宮中での生活に苦労をしていたことが窺える。これは、現世の住みにくい世の中と、以降で説明する浄土信仰への心の揺らぎが原因だと思われる。


5.3 浄土信仰の始動

紫式部は自身の才能を自覚しながら、自分が女という立場であることや生きづらい宮中という生活の中で今この世の中が自分が本来いるべき世界ではないのではないかと考えている。しかし、だからといって彼女は浄土信仰に一直線には向かわない。浄土信仰の末に阿弥陀仏の来迎が来るまで心が揺れ動いていて、その狭間に安住しているという心境を述べている。当時の既存の仏教がすでに民衆の心の救いとはなっていないことが窺える。

5.3.1 恵信僧都源信と浄土信仰

この頃、都では浄土信仰が人々を引きつけていた。これは天台の僧侶源信の影響が強い。彼の著作である『横川法語』では次のような記述がある。

夫一切衆生三悪道をのがれて人間に生るる事大いなるよろこびなり。身はいやしくとも。畜生におとらんや。家まずしくとも。餓鬼にはまさるべし。心におもうことかなわずとも地獄のくるしみには。くらぶべからず。世のすみうきは。いとうたよりなり「人かずならぬ身のいやしきは。菩提を願うしるべなり」此の故に人間に生るることをよろこぶべし。信心あさくとも。本願ふかきが故に。たのめば必ず往生す。念佛ものうけれども。となうればさだめて来迎にあずかる。功徳莫大なり。このゆえに本願にあう事をよろこぶべしまた妄念はもとより凡夫の地體なり。妄念の外に別の心もなきなり。臨終のときまでは。一向に妄念の凡夫にてあるべきぞと心得て念佛すれば。来迎にあずかりて。蓮台にのる時こそ妄念をひるがえして。さとりの心とはなれ。妄念のうちより。まうしいだしたる念佛は。にごりに染まらぬ。はちすのごとくにして。決定往生うたがいあるべからず。妄念をいとわずして。信心の浅きをなげき。こころざしをふかくして。つねに名號をとなうべし。

源信は、妄念を抱くことこそ凡夫の本質であり、妄念があっても念仏に精進せよ。凡夫なのだと開き直ってひたすらに念仏を唱えれば臨終の時には来迎にあずかれる、と言う。迷いつつ過ちを犯しつつも、信じる者は救われる、ということか。まさに浄土信仰の基本形といえるかもしれない。

5.3.2 浄土信仰の浸透

先ほど、地獄や餓鬼のことを考えれば人間に生まれたことは喜ぶべきだと横川法語にあったが、こうした地獄や餓鬼の世界について詳しく書いた『往生要集』という本も源信は著している。彼はあくまで天台の教学の中でこうした活動を行っていた。天台では念仏以外にも戒、禅、密教を併せ持つ総合的な宗派である。しかし源信は、ほかの実践は理知精進の人には可能であるが、自分のような愚か者にはできない。だれもが実行可能なのは念仏であるとした。このスタンスは、彼の思想的流れを継ぐ法然や親鸞にも共通している。

阿弥陀信仰とは、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩であったころ、ほかの人たちが成仏できないのなら自分は悟らなくてもよいなどと言った四八願(本願)に由来する。法蔵菩薩は結局悟りを得て阿弥陀仏と成ったので、つまりは衆生は救われるのだ、ということである。紫式部も藤原道長も浄土信仰に入っていた。これは当時の末法思想の影響も強い。当時は一〇五二年に末法の世に突入するという説が広く信じられていた。同時にこの時期の地方では武士が隆盛し、荘園の摂関体制にほころびが出始めており、まさに末法の世を予感させる時代であった。


5.4 まとめと感想

末法の世、それまでの仏教では一般の人が救われないのではないかという考えから、念仏信仰、浄土信仰が広がっていった。それまでの仏教的な実践が一般の人には大変に難しかったため、念仏という実践を取ることで衆生の救済に乗り出したのである。そうした教化の一環として極楽浄土と対比させるかたちとして地獄についても詳しく述べたのが源信である。彼はその『往生要集』で地獄について執拗に語り、当時の民衆には大きな恐怖を抱かせたに違いない。さらには往生要集の地獄の描写をもとにしたいわゆる「地獄絵図」も描かれ、文字の読めない人々にこうした絵とともに説法などを行っていたと思われる。すでに見た日本霊異記が昔話のイメージの土台を作ったならば、この往生要集や地獄絵図は日本人の地獄観を形作ったといえるのではないか。

この時代が浄土信仰の芽生えであり、浄土教や念仏進行のみならず、鎌倉仏教の領域に入るための大事なとっかかりとなるかもしれない。

仏教 (図解雑学)

仏教 (図解雑学)

広く浅く。見開き2ページに1トピックでわかりやすい。仏教の誕生から現代に至るまで、地域ごと、時代ごとに簡潔にまとめている。奈良仏教から平安仏教、そして鎌倉につながる系譜がしっかりと理解できる。

往生要集

往生要集―地獄のすがた・念仏の系譜 浄土への往生を苛烈なまでに求めた時代と人びとの心 (NHKライブラリー)

現代人が読んでも恐ろしくなるような、執拗とも言える地獄の描写。その背景にある念仏信仰・浄土信仰へのまっすぐな思い。この時代の人々が何を求め、何を恐れていたのかをしる手がかりになる。

紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)

紫式部日記  ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)

授業では十分に紹介できなかった紫式部日記の全貌が理解できる。宮中での生活や人間の評価に加えて、紫式部日記の「たゆたふ」思いを原文とその現代語訳で感じられる良書。紫式部の仏教観、宿世、因果、浄土信仰などを踏まえて読むと理解が深まる。

土佐日記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

土佐日記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

土佐日記は古典の中では読みやすい方だが、さらに軽快な解説がついてすらすら読める。思想史の勉強として発見は多くないかもしれないが、ひらがなの登場とそれによって広がった感性の表現を知る上で一読をお勧めしたい。

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。