第二回 上代歌謡と『万葉集』にみる「古代の思想」

第二回 上代歌謡と『万葉集』にみる「古代の思想」


目次

2.0 はじめに

歌とは

和歌、短歌、俳句などは、今でこそ日常的に頻繁に眼にすることは少なくなったかもしれないが、上代の昔から日本人の教養であり感情の表現であった。古代の歌謡を学ぶことで、仏教や儒教の影響がまだそれほど強くない当時の人間観や世界観が読み取れるのではないかと思う。また、この時期以降の思想につながったもの、つながらなかったもの、今の私たちにどう影響しているのかを考えて勉強したい。

学習の狙い

後の思想文化の歴史に意味をのつ歌謡の由来と、その古代での集大成である『万葉集』を題材に、そこにあらわれた人生や人間のありかたをめぐる古代の思想の一端をさぐる。
清水正之 著『日本の思想』(放送大学教育振興会) p.25

内容

古代の思想を、記紀の歌謡、また万葉集の歌を中心に考える。また神道の祭祀・祝詞等にもふれる。
放送大学ホームページ、シラバスより

キーワード

万葉集 上代歌謡 古事記 日本書紀


2.1 歌の発生

2.1.1 歌と古代

日本の思想において歌謡が担ってきた役割というものは大きい。歌謡は単なる文学作品ではなく、思想を表すためのツールにもなっていったのである。記紀、万葉集、風土記などに出てくる歌を一括して 上代歌謡 とも言う。

天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布土の高嶺を 天の原 ふり放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言い継ぎ行かむ 不盡の高嶺は

「あめつちの わかれしときゆ かみさびて たかくとおとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらい てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくぞ ゆきはふりける かたりつぎ いいつぎゆかん ふじのたかねは」

記紀に描かれる世界は、古事記冒頭の天地開闢からかなりの時間が経過しているという意識とともに、なおその時代と(当時の)現代がつながっているという感覚を持っていたようである。

2.1.2 古事記の歌謡

古事記でスサノオが高天原を追放されてから出雲において大蛇を退治した後、妻(クシナダヒメ)をめとったときに歌を詠ん でいる。これが文字化されたという意味では最古の歌謡である(万葉集に、もっと古い時代と思われる歌謡は多くある)。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

やぐもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを

これはおそらくスサノオの歌と言うよりも、当時の民衆に広く伝わっていた共同体(出雲)の歌である可能性が高い。古事記上巻に特有の違和感のあるごつごつした文体から一転して、人間味のある素朴な感情が読み取れる。


2.2 『万葉集』とは

古代歌謡の集大成

万葉集とは、四千五百首あまりの歌をのせた歌謡集である。編者ははっきりしないが、大伴家持の私撰とする説など諸説ある。それぞれの巻は編者が異なり、それらを大伴家持がまとめたとする説もある。時代は仁徳天皇の時代が多く、かつそれが最古と、壬申の乱、天武天皇の時代、奈良遷都後、天平の時代まで幅広い。 古事記で描かれる世界よりも古い歌が含まれている。

作者は多彩で、天皇、宮廷詩人、農民、武人、乞食人(ほかいびと)などがあり、さまざまな層を網羅している。様々な社会階層への細やかな目配りが伺える。

『万葉集』の世界ー人間・自然・神々

万葉集の始まりは第一巻の最初、雄略天皇の歌で始まる。

籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな な告らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 吾こそは 告らめ 家をも名をも

読み方

こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このおかに なつますこ いえきかな なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそは のらめ いえをもなをも

意味

籠もよい籠を持ち、堀串(ふくし、木製のヘラ)もよい堀串を持ち、この丘で菜を摘んでいる娘よ、家をおっしゃい、名前をおっしゃい。大和の国はすっかり私が支配して、隅々まで私が君臨しているのだが、私から名乗ろう。家も名前も。

当時、女性が男性に名を名乗るというのは求婚に応じるという意味であったという。この歌も雄略天皇個人の歌と言うよりも集団で共有されているものと考えられる。やまとの国を賛美すると同時に、一転して身近なのの草を摘む乙女への呼びかけ・求愛へと転じる様は、万葉集全体に見られる特徴である。

雑歌・相聞歌・挽歌

『万葉集』にはさまざまな歌があり、後半の巻をのぞいて分類されている。歌には大きく分けて、一般的な生活を詠んだ 雑歌 (ぞうか)、人との関係を詠んだ 相聞歌 (そうもんか)、死者を悼む 挽歌 (ばんか)、そして四季の歌などが加えられる。挽歌とは、挽くという字がそもそも「ひく」、つまりお棺を引くという意味がある。相聞歌は恋愛に限らず、人との関係全般を歌ったものである。個人の感情は自然を通じて浄化される。自然とはその奥に何事か神的なものがあり、その神は根源的なエネルギーとして人間生活を包み込んでいるようなものである。


2.3 万葉集の時代

万葉集が成立した時代は、近代化の始まりとしての騒乱の時代であったが、権力闘争に敗れた敗者へのまなざしを忘れてはいない。これは万葉集に限らず日本的な(この表現にも幅はあるが)ものだともいえるかもしれない。万葉の時代はすでに仏教を受容していたものの、奈良仏教にあるような学問的仏教の側面は万葉集から強く伺うことはできない。


2.4 万葉集の思想史

万葉集から次の勅撰和歌集である古今和歌集の成立までにおよそ百五十年の空白がある。古今和歌集にはまた、万葉集には見られない美的意識が伺える。

後生になって、万葉集は日本人の本来的な意識として、初期の国学者やアララギ派の斎藤茂吉などによって見直されることになる( 思想とは古典との対決によって現れる )。古代人が漢詩を教養とし、万葉集などを未開の文化と見ていた可能性はある。ここ近代的な意味での思想的な葛藤があったかどうかは定かではない。


2.5 まとめと感想

前回も書いたことだが、日本または東アジアに見られる包摂性は、万葉集に見られる敗者への温かいまなざしにも感じられる。万葉集にある自然を愛で、花鳥風月を賛美しながら、それを個人の感情の吐露へと帰結させる形は以降の日本の思想にも強く影響していると思う。

何を持って「日本的」と呼ぶのかは難しいが、日本的なもの(と思われているもの)に立ち返ろうという流れと、海の向こうにある(ある種のあこがれを伴う)先進的な文物の需要という相反する二つのベクトルの共存こそが、自分にとっては「日本的なるもの」のような気がした。

万葉集以前の時代、歌謡はそもそも文字化されるものではなく口承で伝えられてきたものであった。それが万葉の時代を迎え歌が文字化されるようになり、たとえば「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき」のような擬音語や語の音を巧みに使った歌が少なくなったという。たしかに口承で伝えていくには語感や擬音語などは大切な要素である。失語症の人でもメロディーに乗った歌詞であれば思い出せるという研究もある。これは歌謡がよりプリミティブな人の意識に関わっているからだと思われる。万葉集はそれまで口承が当たり前であった時代の歌が文字化されるという歌という一大転換を迎えた時期としても捉えられるとも思う。万葉の時代やそれ以前の古代歌謡がどのように詠まれていたのか、聴いてみたいものだ。

万葉集 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

わずか250ページほどで万葉集のダイジェストを丁寧に解説している。歌自体の解説にとどまらず、作者の生い立ちや人間関係にまで踏み込んでいて万葉集が身近に感じられる。さらに、古事記や日本書紀の話も出てくるので前回の授業でも耳なじみのある話が万葉集という視点から再確認できる。同じビギナーズクラシックスのシリーズに全四巻からなる万葉集の解説本もでていたが、私には少々重すぎると思い1巻完結のこちらを選んだ。より深く知りたい人は 万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫 古 6-1) から始まる全四巻のリーズを読むと良い。

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