第六回 歴史物語と中世歴史書に見る思想

第六回 歴史物語と中世歴史書に見る思想ー貴族の栄華と武士の思想ー


目次

6.0 はじめに

順序的にはここで鎌倉仏教に入るはずだが、その前に当時の時代背景や時代の流れをいくつかの物語や歴史書を通じて学習する。鏡物語や平家物語では武士の時代の到来を感じ、愚管抄や神皇正統記では末法の世、支配者の正当性、マクロな視点での歴史観を学び取りたい。授業では詳しく触れられなかった愚管抄の細かい点、神道優位の理由、冥の道理、そして教科書にはない項目「6.6 比較」を追加して筆者が感じた範囲での愚管抄と神皇正統記との比較について書いてみた。

学習の狙い

貴族が栄華を誇っていたころ、地方では武士という新たな存在が独自の生の様式をもって登場してきた。この賞では、平安中期から野武士を主人公とする歴史の展開の中で、過ぎし栄華の懐古にひたる。あるいはあらたな武士の登場の歴史的必然などを考察する思想的作品を中心に学ぶ。
清水正之 著『日本の思想』(放送大学教育振興会) p.65

内容

武士の歴史への登場は、貴族に変わるあらたな時代の担い手の登場を意味した。そうした王朝から武士の時代の転換をしめす時代の変化をうかがうことの出来る作品から、思想史の論点をさぐる。
放送大学ホームページ、シラバスより

キーワード

大鏡四鏡愚管抄神皇正統記


6.1 武士の登場

この時期、中央からの圧力に対抗するため地方では武士団が成立し、国司の方もまた武士化した。また、中央貴族の護衛のためにも武士が仕えるようになった。武士団は桓武平氏と清和源氏に統合されていった。各地で武士が関係する争乱が起こり、次第に中央では平将門が実権を握った。その後、平氏と源氏の間で争いが繰り返されることになる。


6.2 栄華の記憶

6.2.1 四鏡と『大鏡』

貴族の栄華が終演に近づいた頃、その栄華を偲ぶ物語がいくつか登場する。『栄華物語』や『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』の四鏡と呼ばれるものである。ここでは『大鏡』について見てみる。

別名を「世継物語」といい、白河院政期(十一世紀後半から十二世紀前半)に成立されたとする。内容は、一〇二五年に紫野の雲林院で行われた菩提講(注1)で、文徳天皇から一条天皇までの一四代の歴史を一九〇歳の大宅世継(おおやけのよつぎ)と一八〇歳の夏山繁樹(なつやまのしげき)が語り、それを三〇歳くらいの若侍が批評を加え、さらにそれを筆者が筆録するという形になっている。主要なテーマは藤原道長の栄華で、天皇紀、藤原氏の列伝、藤原氏の物語、種々物語が続く。正史というよりは宮廷内部の事情やうわさ話を含めた物語の形式をもっている。

続く○鏡シリーズも同様に老人からの思い出話を聞くという形式になっている。

注1 菩提講:極楽浄土を願って法華経を講義する法会。


6.3 『愚管抄』 ―道理の物語―

『愚管抄』は鏡物語とは明らかに一線を画す壮大な歴史書であり哲学的考察の書である。作者の慈円は摂政・関白となった九条兼実の実弟で、天台の座主を三度(Wikipedia や大隈和雄の『愚管抄を読む』では四度と記載されている)もつとめるほどの実力者であった。彼は藤原家の流れを汲みつつ、武士である源頼朝とも親しかった。

6.3.1 末法の世 ー王法と仏法ー

愚管抄第三巻は次のように始まる。

トシニソヘ日ニソヘテハ。物ノ道理ヲノミオモヒツヅケテ。老ノネザメヲモナグサメツツ。イトド年モカタブキマカルママニハ。世ノ中モヒサシクミテ侍レバ。ムカシヨリウツリマカル道理モアハレニオボエテ。神ノ御代ハシラズ。人代トナリテ神武天皇ノ御後百王トキコユル。スデニノコリスクナク八十四代ニモナリニケル中ニ。保元ノ乱イデキテ後ノコトモ。又世継ガ物ガタリト申物ヲカキツギタル人ナシ。少少アルトカヤウケタマハレドモ。イマダエ見侍ラズ。ソレハミナタダヨキ事ヲノミシルサントテ侍レバ。保元以後ノコトハ。ミナ乱世ニテ侍レバ。ワロキ事ニテノミアランズルヲハバカリテ。人モ申ヲカヌニヤト。オロカニオボエテ。ヒトスヂニ世ノウツリカハリ。オトロエタルコトハリヒトスヂヲ申サバヤト思テオモヒツヅクレバ。マコトニイハレテノミオボユルヲ。カクハ人ノヲモハデ。コノ道理ニソムク心ノミアリテ。イトド世モミダレ。ヲダシカラヌ事ニテノミ侍レバ。コレヲオモヒツヅクルココロヲモ。ヤスメムトオモヒテカキツケ侍ル也。皇代年代記アレバヒキアハセツツミテ。フカクココロウベキナリ。

冒頭にはまず執筆の理由が書かれる。「人代トナリテ神武天皇ノ御後百王トキコユル。スデニノコリスクナク八十四代ニモナリニケル中ニ」からは、末法の世と関連して天皇の代が百代で世の中が滅びると言われていた時代が窺える。また、保元の乱以降に歴史書が出ていない(あるとは聞くが読む機会を得ていない)こと、悪いことばかりなので人が書かないのだろう、とある。しかし慈円は、「ヨキ事」も「ワロキ事」の両方を描いていくことでそこに現れる「道理」を明らかにしようと考えた。愚管抄は歴史書としての体裁を持っているが、その奥には慈円の思想がはっきりと読み取れる。それまでの世継ぎ物語などが過去の栄華を懐古的に振り返っていたのに対し、愚管抄では時代が下降していると認識しつつも、その下降を悲観的にとらえるのではなく良いことも悪いことも描き出して世の中をよい方向へと導く道理を見いだそうとした。

6.3.2 事の道理

歴史の流れの中には道理というものがある、と慈円は言う。道理には小さい、軽い、短いものがあり、それらはより大きく、重く、長い道理と合流し、飲み込まれ、包摂されていくと慈円は考えていた。つまり、長い目で見れば権力の移り変わりもその道理に従っている。たとえば、竹内宿禰が大臣になった事で藤原氏は臣下の方向性を得て、藤原鎌足が天皇を補佐するようになった事で天皇の後見人という位置を占める。藤原良房が摂政になった事で、藤原北家の後の摂政政治の担い手となった事を決定づけたとした。しかし慈円は単に自分のルーツ(藤原氏)の権力や支配を正当化するためにこのようなことを書いたのではなく、今現在の出来事は過去の道理の結果であると認識した。そして武士が台頭してきた事もこの道理の中にあると考えた。自分の出自をも相対化しているとも考えられる。

6.3.3 歴史下降の必然性と超越的存在

仏教の時間的意識「四劫観」では、歴史は中間の興亡を繰り返しながら全体としては下降してくという壮大な歴史観がある。愚管抄に書かれた「劫初劫末ノ道理」もこうした考え方を背景としていて、この時代の末法の世も壮大な四劫観の中では小さな浮き沈みであるとして相対化した。さらに愚管抄では、先ほどあげた歴史的事実に現れた道理とは別に、人為の及ばない超越的な道理についても言及する。

愚管抄では超越的な存在を冥(みょう)と呼び、妙を構成しているものを冥衆(みょうしゅう)と呼んだ。この冥衆が人間に事の道理を示すため、たとえば聖徳太子などのように権化となって人の世に現れるとした。

神道の神の優位性―不変の道理―

世の中にある大小様々な道理も歴史上での具体化も、究極的には流動的で定まらないものである。慈円にとっての同時代史ともいえる保元の乱からさらに時代をさかのぼっていく上で、さらに大きなメタ道理ともいえるべきものが必要になったのであろう。愚管抄は当時のほかの歴史物の書物とは異なり、神代に関する記述がない。単に「神ノ代ハシラズ」と言って皇帝年代記を神武の人代から書き始めている。しかし、これは神代を軽く見ているのではない。愚管抄では、神代に天照大神(伊勢大神宮)がその子孫を国の支配者として芦原中国に送った際に、天照大神が藤原家の祖神である天児屋根命(春日大明神、鹿島大明神)との間に取り交わした約束が、歴史の中で具体的に現れていると見ている。その約束について慈円は次のように書いている。

トヲクハ伊勢大神宮ト鹿島ノ大明神ト、チカクハ八幡大菩薩ト春日ノ大明神ト、昔今ヒシト議定シテ世ヲバモタセ給フナリ。

あるいは

アマノコヤネノミコトニ、アマテルヲオン神ノ、「トノゝウチニサブライテヨクフセギマモレ」ト御一諾ヲハルカニシ、

つまり、天照大神の子孫が天皇となり日本を支配するが、その補佐を天児屋根命に頼んだことが、天児屋根命の子孫である藤原家の摂関体制につながっていると見ている。また、神代の神々は神武の時代に消滅したのではなく今この現在にも存在していて見えないだけであると考えていて、これは神皇正統記とも共通する。

慈円はこうした神代から現在に至るまで天皇が同じ皇胤から即位している点を不変の道理として考え、同時に藤原北家の摂関体制の根拠を神話の世界に見いだした。こうしたことが天台座主でありながら神道的な神を道理を考える上で優位と見る背景にあるのではないか。

6.3.4 中世人としての慈円

慈円は朝廷側の人間で天台の有力者。天皇と和歌などを通じて交流があったが、同時に源頼朝とも親交があった。天台宗自体は法然の念仏にはかなり批判的だったが、実兄の九条兼実が法然の念仏に傾倒していく事については愚管抄の中では触れていない(ただし、授業では触れられていないが、御所の女房が出家し宿泊した件については批判している)。また、愚管抄は漢字ではなく仮名を使い、俗語、口語、直接話法を用いて書かれている。これは仮名こそが日本の歴史を書き記すのにふさわしい言葉だという慈円の考え、漢籍に通ずるものたちが日本の歴史について疎いということを考えてのことのようである。


6.4 『平家物語』

6.4.1 諸行無常

平家物語の作者は信濃前司行長とされるが今は定説ではない。冒頭は諸行無常を表す文として有名である。

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

この無常観というのは武士の生き方と関わっている。それまでの貴族の無常観は宿世(すくせ)という人間の儚さや限界性という意味合いの受動的なものであったが、武士の見る無常観には迫りくる戦い、敗北、そして死と正面から向き合う姿勢である。また、この物語は怨親平等(おんしんびょうどう、敵も見方も区別せず平等に見る)の考え方がある。平家にしろ源氏にしろ、栄華と没落を「あはれ」として描いている。これは琵琶法師の聞き手である民衆の受け止め方の反映でもある。古事記、日本書紀、万葉集にも見られる敗者への暖かいまなざしはここにも見て取れる。


6.5 『神皇正統記』ー正理と歴史ー

6.5.1 神国日本

「大大和は神国なり(おおやまとはかみのくになり)」の有名な一節で始まる神皇正統記は天照大神の意志に沿って天皇家の中で皇位が継がれてきたという「正統(しょうとう)」の観念と、皇位が傍流にはずれても有徳の天皇の元に戻ってくる「正理(しょうり)」について、神代の時代から書いていく。著者の北畠親房は南朝(吉野朝)の後村上天皇(異説あり)の正当性を説いて周囲の忠誠を喚起させる目的で書いた。読者は南朝の人にとどまらず、北朝の人にも読まれ、自分の都合のいいように加筆修正されたという。代表的なものに『続神皇正統記』がある。

冒頭の「大大和は神国なり」という一節の背景には、蒙古襲来がある。元寇に勝利(?)したのは神の国であり、その神の国の理由として、天皇の系譜が天照大神の意志に沿って一種姓の中で継がれているからだとした。神皇正統記では神話と皇位継承を連続させた。長きにわたる皇位の一種姓は、唐や天竺に対しての優位性ともされた(唐や天竺は国の歴史は長いが皇位は日本より短い)。

しかし、一種姓の中で皇位が継がれればよいのだとしたら、北朝もまた正統であると言える。神皇正統記における正当性とは一時の運で皇位を得た傍流と本来の本流を弁別することにある。

大日本(おほやまと)者(は)神国(かみのくに)他。天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統(とう)を伝(つた)へ給ふ。我(わが)国のみ此事あり。異朝(いてう)には其たぐひなし。此故に神国(かみのくに)と云(い)ふ也。

神皇正統記 原文(よみがな付き)

神皇正統記 原文(よみがななし)

6.5.2 正統と正理

神皇正統記で言う皇位の正当性とは、単なる正しい血統という点だけではない。帝の人徳もまた正当性の大事な要素となる。不徳の子孫が祖先の功績を台無しにしてしまうのも歴史の理である。

「天地の始は今日を始とす」という一節がある。これは、皇位の正当性を徹底的に突き詰めると、それは当人ではなくて後世にならないとわからないということになる。神皇正統記ではこの乖離を埋めるべく、その根拠を現在の倫理性に求める事になる。

三種の神器、鏡、玉、剣のそれぞれは、正直、慈悲、知恵の徳の根源とされるが、さらにその究極的な特派心に一物も蓄えない無私性にあるという。

6.5.3 後世への影響

愚管抄と同じように神皇正統記にも時代の下降意識が見て取れる。しかし同時に、男は農業に、女は紡績に従事し、自分のため他人のために生きていく事を諭す内容はむしろ近代的で、神代の時代を書きながらも新しい時代を見ていたようである。また、中世にあった仏教的な精神性・倫理性が神道的なものへと次第に統合されていった時代が窺える。

愚管抄はその内容が非常に仏教的であり、後世にその思想の流れを継ぐものがいなくなった。しかし神皇正統記は江戸時代になって水戸藩の大日本史編纂の際に高く評価され、神典の扱いを受け、明治に入ってからは教科書に採用されて天皇を中心とした国家体制の正当性を支持するために利用された。しかし、神皇正統記はこうした国粋主義者たちの手によっても改ざんされている点、そして神皇正統記では権力の集中を批判したり、摂関体制を擁護したりしていることからも、この書を以て国体を支持するというのは無理がある。

6.5.4 伊勢神道

神皇正統記の思想的背景に、伊勢神道がある。伊勢神道は鎌倉時代に伊勢神宮の外宮の神官である度会氏が、内宮に対して外宮の地位を上げようとして唱えた。奈良時代に書かれたとされる五冊の書を教典とし(実際は鎌倉時代に書かれた偽書)、正直の重要性を説いて理論化、内面化を進めた。この流れは室町末期に吉田神道に引き継がれる。


6.6 比較

『愚管抄』と『神皇正統記』の共通点や相違点を考えてみたい。

愚管抄 神皇正統記
作者 慈円 北畠親房
成立 1220年頃 1339年頃
書かれた場所 僧院あるいは自宅と思われる。 小田城での籠城中、時間的にも空間的にも限られた場所と思われる。
対象読者 読者を想定しない日記的、独白のようにも受け取れるが、鎌倉幕府倒幕を企てる後鳥羽上皇をいさめるためとも言われる。 南朝(吉野朝廷)の人々、その周辺の人々、北朝の人々など広い。後村上天皇に献上されている。
世界のとらえ方 大小様々の道理を見つめながら、物事を相対化してより大きな道理の流れを見いだそうとする。まずは眼前にあるありのままを真理として受け入れる。また、天皇の皇位が神代の時代からずっと一種性の中から即位することを唯一不変のこととしている。 皇位をたどっていくことで、正統・正理が見いだせるとする。天皇は一種性の中から即位するが、一種性だけではなく有徳でなくてはならないとする。
宗教観・倫理観 ありのままを受け入れるという点で仏教的(天台宗的)。天皇の皇位を不変の理とする点では神道を習合している(藤原北家の摂関体制を擁護するためとも解釈できる)。 天皇の皇位を不変の理とする点で神道的。天皇に徳が必要だという点については儒教的。理想のあり方を先に想定して、現実をそれに近づけるというアプローチは儒教的。

6.7 まとめと感想

難解な章だった。今回のメインは愚管抄と神皇正統記。武士の世への転換、末法思想を踏まえた上でこの二つの書物をどう解釈するかは非常にむずかしい。愚管抄は現実世界を受け入れてあらゆるものを相対化しているとも受け取れるが、やはり政治性というか藤原北家の摂関体制を擁護して近衛家を遠ざけるという意図は見え隠れする。放送授業にもあったが、慈円が二度目の隠遁(第二の俗世ともいえる比叡山からの隠遁)をしようとしたとき(慈円は二五歳だったと言われる)に兄の九条兼実がこれをいさめたという。法然や親鸞のように世俗化した比叡山から飛び出して新しい道を切り開くことも、鴨長明や西行のように本当の意味での隠遁をすることも、九条家という出自が許さなかったのだろうか。愚管抄からは歴史を達観する姿勢が見て取れるようにも思えるが、慈円個人の政治的な関心は消しきれないように感じた。 万世一系や神国思想も見て取れる。

神皇正統記についてもまだ不明な点が残る。あくまで神道(伊勢神道)のスタンスが窺えるが、帝の資格に徳を挙げる(愚管抄では徳のない天皇が即位したときのために補佐役としての藤原氏がいると解釈する)点が中国的、儒教的であると思う。そして論理を突き詰めると、皇位の正当性は後世にならないと判断できないという当然の結論が出る。三種の神器があってもなくてもこの論理の乖離は埋められないのではないかと感じた。まだまだ勉強が足りないようだ。

愚管抄を読む

愚管抄を読む

原文と現代語訳、それに解説を交えてわかりやすい後世になっている。慈円自身について、中世という時代について、神皇正統記や方丈記など同時代の書物とも比較しながらその叙述内容や叙述態度、慈円の思索についてていねいに考察する。授業では納得できなかった部分が原文と解説を照らし合わせて読むうちに理解できるようになる。おすすめ。

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